経済産業省が幹事を務める「日本ロボット大賞」。技術開発と事業化を促進するこの賞では、新しい社会創造に貢献する最先端ロボットを数多く輩出してきた。今年で11回目を迎える受賞ラインナップの中で、ビジネス・社会実装部門 優秀賞を受賞したのは「姿勢変換機能つき電動車いす Hineruハイネル」だ。寝たきりなどの重度身体障碍者が、快適な姿勢維持やひねり動作を自分で行えることで、不快感解消を実現。さらに、筋力維持や血液循環促進などの身体的効果、孤独感の低下といった心理的効果も期待されている。
物流や製造業界に比べるとロボットの導入事例が少ない介護業界。RoboStep編集部は、介護業界におけるロボット活用の現状と将来性を知るべく、ハイネルの開発を行うコボリン代表取締役の浅見一志氏に、その思いを綴っていただいた。
株式会社コボリン 代表取締役
浅見一志
1975年生まれ。工学院高校卒業 東京科学電子工業専門学校卒業 半導体製造装置の機械設計に従事。品川職業訓練校金属造形科を卒業し、障がい者ヘルパーのアルバイトを経て2000年有限会社さいとう工房に就職、車いすの製作・販売メンテナンスに従事。
2007年車いす工房 輪設立のち、2022年8月、電動車いす専門店である株式会社コボリンを設立。
日本は世界的に見て高齢化が進んでいる国であり、寝たきりや要介護人口が増加し続けています。平均寿命と健康寿命の差は10年あると言われており、この間に多くの高齢者が医療や介護を必要とする状態になります。事実として、日本には約300万人の寝たきりの方が存在し、医療・介護費の増大だけでなく、介護人材の不足という問題を引き起こし、社会全体での早急な解決が求められています。
こうした背景の中、ロボティクスは社会課題を解決する革新的な手段として注目されています。ロボット技術が医療や介護の現場に導入されることで、看護・介護負担を軽減し、より効率的な生活支援が期待されています。しかし、技術が進歩しても、それが実際に現場でどう役立つか、現実的な解決策を提供できるかが重要です。ロボティクスは「技術のための技術」ではなく、利用者や社会のニーズに応えた製品である必要があります。
当社が開発した「Hineru(ハイネル)」は、ロボティクスを活用した製品です。ハイネルは、重度身体障害者や高齢者向けに設計されたロボット車椅子で、利用者が自分で自由に姿勢を変えることができる機能を持っています。従来の車椅子にはリクライニングやティルト機能がありましたが、ハイネルはそれに加えて、体幹をひねる、傾ける背中を伸ばす事が可能です。また、複合姿勢を3つ記録し、スイッチで簡単に姿勢の再現ができます。これにより、利用者は自らのタイミングで姿勢を変えることができ、長時間の座位による身体的負担を大幅に軽減します。
ハイネル開発のきっかけは、重度の身体障害を持つ方が抱える「不動」による苦痛や健康リスクへの強い問題意識でした。寝たきりや長時間同じ姿勢でいることが引き起こす問題は深刻です。身体面では、寝たきりなどによって、体重で圧迫されている場所の血流が悪くなったり滞る褥瘡(じょくそう)や筋力低下、呼吸器系の問題が頻発しています。特に褥瘡は、身体の一部に長時間圧力がかかることで発生し、適切な姿勢を維持することが予防の鍵となります。精神面でも、同じ姿勢を長時間続けることによる心身へのストレスや孤独感が増大します。不動は、生活の質を著しく低下させます。
介護者にとっても、頻繁に行う姿勢の調整は大きな負担です。利用者を持ち上げたり、体位を変える作業は体力的にも精神的にも非常に重労働であり、これらの負担は介護者の心身の疲弊を招き、介護離職や介護者不足の問題にもつながっています。
このような現状に対して、弊社は「どうすればもっと楽に、より自立した生活を送ることができるか」という問いに向き合い、ハイネルを開発しました。
弊社は元々、身体に変形や問題のある重度障害者向けに一台一台オーダーメイドでカスタム製作を行っています。障害の種類や身体の形状は人それぞれで異なり、毎回ユーザーの身体寸法を採寸し、それを元に製品を作り上げてきました。
車いす工房の様子
ハイネルの設計は、実際の現場からのフィードバックが反映されています。姿勢を快適に感じられる動作支点の位置や角度については何度も試作を繰り返し、最適な設計に近づけました。駆動インターフェイス自体は汎用品の用途開発を活用しており、姿勢の記録や再現には難しいティーチングやプログラム操作は不要です。ユーザーや介護者が直観的に操作できる仕様になっています。
ハイネルの導入によって、利用者の生活がどのように変わったか、いくつかの事例を紹介します。
例えば、筋ジストロフィー症の利用者は、以前は1時間以上車椅子に座り続けるとお尻が痛み、褥瘡の危険性が高まっていました。しかし、ハイネルを使用することで、自分のタイミングで姿勢を変え、圧力を分散することができるようになり、痛みを感じることなく1日中活動できるようになりました。この方の姿勢変換回数を計測したところ、1日(乗車時間15時間)で1226回の姿勢変換が行われていました。
家族介助の例では、筋ジストロフィー症の子供にハイネルを導入したところ、30分ごとに子どもに呼ばれていたのが、1日1回に減り、親子関係が改善されたという報告があります。利用者が自分で姿勢を調整できることで、介助者とのコミュニケーションや関係性が変わり、より充実した時間を過ごせるようになったのです。
工房での制作風景
ハイネルのようなロボット技術は、利用者の生活を直接支えるだけでなく、介護者の負担を軽減し、社会全体の介護問題にも解決策を提供します。特に、姿勢を自分の意思で自由に変えられることで、利用者はより健康的な生活を送ることが可能です。これは単なる身体的サポートにとどまらず、心理的なサポートとしても重要な役割を果たしています。
介護現場では、ロボティクスの導入によって自分で姿勢をケアできるようになり、介護者不足の問題に対する解決策としても期待されています。これは単に技術を提供するだけではなく、人々の生活を豊かにするための社会システム全体の改革を示唆しています。
人は無意識に15分ごとに足を組み替えたり、体を揺らしたりして姿勢を変えると言われていますが、自力で姿勢を変えられない人はどうでしょうか?自力で歩行できなくなった人は、ベッドか車椅子のどちらかを選ぶ必要があります。しかし、ハイネルはその両方の中間に位置し、第三の快適な居場所を提供します。
ハイネルは、洋服の次に体に近い位置に存在し、3次元的に姿勢を変えることができる唯一のツールです。体が痛いとき、苦しいとき、伸ばしたいときに、苦痛から解放されて快適な状態を提供します。
この製品が広く評価され、「姿勢を自由に動かすこと」が人の権利として認知され、広まるきっかけになればと考えています。現在は重度の障害を持つ方が主に利用していますが、高齢者の機能低下予防や寝たきり予防にも貢献できると信じています。「姿勢を自由に動かしたい」と願うすべての方に提供していきたいと考えています。
そして「もっと自由に自分らしい生活を」送れるような社会を作っていきたいと思います。
(中央)浅見氏とコボリンの皆様
大怪我で入院した時。病気をした時。寄り添ってくれる人に、暖かみを感じた事が読者の皆さんにもあるだろう。ましてや車いすで麻痺し、身体の姿勢すら人に介助してもらう状況になった時を想像してほしい。想像を絶する辛さや苦労を感じるかもしれない。しかし、いつ我々自身や家族が同じように寝たきりになるかわからない。この辛さをどうにか軽減してほしい、と願っても、自分でロボットを作るのは困難だろう。そんな思いを抱える人々に寄り添い取り組むのがコボリンだ。
初めて浅見氏とお会いした際には、実際にハイネルを利用されている車いす利用者の方も同席し、真摯にその快適さを語ってくれた。人の姿勢や気持ち良い体勢を作り出すオーダーメイドの車いすは、相手との対話が不可欠。会話の中で「丁寧、親切、寄り添い」という言葉が多く使われていたのが印象的だった。ロボットそれ自体の有用性はもちろん、技術の向こう側にいる「人の思い」がロボットを通して感じられ、RoboStep編集部はハイネルにいたく感動した。
「こんなものがあってほしい」と願う人々に寄り添い、新しいイノベーションが産まれ、ロボットは作られる。そこには人の温もりが確かに感じられる。人の思いの数だけ、ロボットが存在するのだ。